母性愛を理解し、トラウマを乗り越える物語
個人的評価
総合評価:★★★★☆(4 / 5点)
作品の基本情報
作品名 | 竜とそばかすの姫 |
公開日 | 2021.07.16 |
ジャンル | アニメ |
監督 | 細田守 |
脚本 | 細田守 |
主な出演者 | 中村佳穂、成田凌、染谷将太、玉城ティナ、幾田りら、佐藤健、役所広司 |
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あらすじ
主人公のすずは幼い頃に母と死別したことをきっかけに心を閉し、大好きだった歌が歌えなくなってしまった。
自分らしくあれないまま高校生になったすずは、ある日仮想空間”U”と出会う。そこでは50億人以上もの人が、”As”と呼ばれるもう一人の自分の姿を借りて生活を送っていた。
ちょっとした手違いからかなり美人になってしまった自分のAsに”ベル”と名付けたすず。すずはベルとしてなら歌うことができるようになった。
圧倒的な歌唱力や友人のプロデュースの力によって世界的歌姫となったベルは、初めての大規模コンサートを開催する。しかしそこにならず者のAs、”竜”が乱入してきた。
竜の討伐を求める声が響く中、ベルはなぜか彼の存在が気になってしまうのだった——。
鑑賞のポイント
- この作品のテーマは「母性愛」
- 圧倒的な歌声に心を動かされること間違いなし!
※以下、ネタバレが有ります!!
ストーリーを追う
ストーリーのポイント
- 竜が気になったベルは現実世界とUの世界の両方で彼に関する情報を集める。
- Uの世界での竜の居場所を突き止めたベルは彼に会いに行く。
- ベルの行動に竜は次第に心を開くようになる。
- 一方で竜のアンベール(現実での姿をあらわにさせること)を求める声が高まっていく。
- すずは歌をきっかけに現実世界での竜を見つけ出す。竜は父親から虐待を受ける子供だった。
- 竜と話をしようとするが、すずの姿では信用を得られない。ベルは自らアンベールすることを決意する。
- Uの世界で”すず”として歌を歌ったことで、現実世界の竜がすずをベルだと認め、信用する。
- 助けるために居場所を聞こうとするが、直前で父親がそれに気づいて通信を切ってしまう。
結末
その場に居合わせた人たちの機転によって竜の居場所をある程度しぼりこんだすずは、単身東京へ向かう。竜を探して必死に駆け回っていると、家から外に出てきた竜とその兄弟に会うことができた。すずは追ってきた父親から二人をかばって立ち向かう。その時、他人の子供を助けて亡くなってしまった母親の気持ちを理解することができた。
父親はすずに圧倒されて立ち去り、すずは二人を助けることに成功する。こうしてすずは自身のトラウマを乗り越えて、自分らしく生きていくことができるようになった。
作品のテーマ
この作品のテーマとは?
この作品のテーマは、母性愛だ。
母親が自分と過ごしていくことよりも、他人の命を優先して帰らぬ人となってしまったことがトラウマとなったすずが、竜との出会いを通して母性愛、つまりあの時の母の行動を理解することが主題となっている。
ここで言う母性愛とは血縁関係にある母と子の間にあるものではなく、もっと広い意味で”母から子に与えられるような慈愛”と捉えていいだろう。
ただ、このテーマはさまざまな理由から伝わりづらくなっている。
テーマが見えづらい理由
(1)ストーリーの中に恋愛要素が入っている
この作品には、さまざまな恋愛要素が含まれている。
その中でも一番主題を見えづらくしている要因は、「美女と野獣」という作品にある。
歌姫がみんなに嫌われていて城に引きこもっている醜い男に寄り添おうとするというストーリーや、ベル、ジャスティン(ガストン)などの名前の付け方からも分かるように、「竜とそばかすの姫」は一部、「美女と野獣」をオマージュした作品となっている。
ただし、世間一般で知られる「美女と野獣」はあくまでラブストーリーであるので、観客の中には歌姫は野獣と恋仲になるものというバイアスがかかっている状態の人もいる可能性がある。
恐らく監督は「美女と野獣」の作品から、ベルの母性愛的要素のみを引き出そうとしていたのではないかと思われる。しかしこのバイアスが強くかかっている人にとってこのストーリーの構成は、ベルは竜と恋仲になるはずという予想を立てやすくなってしまっている。そうなってしまうとこの母性愛という主題が分からなくなってしまうのである。
その他にも、すずの忍に対する片想い的描写や、ルカとカミシンとの恋愛模様など、恋愛の要素が多く含まれている。
ストーリーの中に恋愛要素を取り入れたのは、高校生のリアルを描くにあたってそれが必要不可欠だったから、また先に忍への恋心をあえて描くことで、すずにとって竜は恋愛対象とは別の存在であるということをいいたかったからなどといった理由も考えられる。
しかし、母性愛という映画の本筋には恋愛が全く関わってこないため、この要素を入れたことによって作品のテーマが見えづらくなってしまっていることは否めないだろう。
(2)主人公の目的が見えづらい
主題が見えづらくなっているもう一つの理由は、それと関わる主人公の行動の目的が立ち上がるのが遅いことにある。
母性愛を理解するという作品の主題に関わる主人公の行動は、”父親から虐待を受けている子供を助けるために東京へ向かう”というものだ。この助けるという目的が現れるのは、物語の終盤になってからである。
それまでは、竜がなんとなく気になる、放っておけないという理由から竜や現実世界での”竜”に会おうとするが、その目的が立ち上がるのも、物語の中盤になってからであった。
そこに至るまでの序盤から中盤にかけてのストーリーは、すずが世界的歌姫になり竜と出会うきっかけを描いているため、やや説明的になってしまっている。大きく捉えればすずがトラウマを乗り越えるために少しずつ前進しているとも言えなくはないが、Uに入ったのも、世界的歌姫になったのも、すずが初めからそれを目的として動いたというよりは、周りの助力のおかげという面が大きく、身を任せた結果という方がふさわしいだろう。
そのため、中盤まではすずがこの作品の中で何をしたいのかがなかなか見えてこず、その結果作品のテーマを理解するまでに時間がかかってしまうのだ。
”母性”愛がテーマになっている根拠
広い意味での”母性”がテーマになっている根拠は、登場人物たちの役割にある。
この作品には、すずの母親代わりになっている人が沢山登場してくるのだ。
まず挙げられるのは幼馴染の忍だ。
忍はすずの母親が亡くなった場面に立ち会っていたこともあり、幼心にすずを母親の代わりに守り続けるという決意をしたように見える。それは学校でのすずを気にかけるような発言や、終盤での「これでやっと対等な立場になれると思う」といった趣旨の発言から読み取ることができる。すずがアンベールを決意する場面でも、すずをたしなめて正しい方向へ導く役割を担っていた。
次に注目すべきは、合唱隊の女性たちだ。
飾られている写真から、彼女たちはすずと、母親が亡くなる前から交流があったことが分かる。そしてその交流は亡くなった後から現在まで続いており、すずの心にかなり近い場所で寄り添い続けている様子が描かれていた。
ちなみにここには一つポイントがある。それは、合唱隊に所属する女性たちは性格も年齢もバラバラな5人が描かれているという点だ。
逆に言えば、この女性たちに共通するのは歌が好きな点と、すずを想い続けているということだけということになる。つまり、母性を持っているということが共通点として挙げられるが、その他はバラバラだとも言えるのだ。
忍や合唱隊の女性たちに”母親”の役割をもたせていることから、”母性”は性別や性格、年齢に関係なく全ての人が持つことができるというひそかな主張があると読み取ることもできるかもしれない。
その他にも、親友のヒロや父親など、すずに対して愛情を持って接してくれている人は大勢いるのだが、すずは終盤までこれらの人が”母性”を持って自分を支えてくれていることに気づかず、ふさぎこみ続けているのだ。
よかった点と残念だった点
圧倒的な歌姫の歌唱力
テーマが伝わりづらくなってしまった部分はあるものの、この映画の最大の魅力でありポイントであるのはやはり歌だろう。中村佳穂さんの圧倒的な歌唱力によって歌い上げられた主題歌は、それを聴くためだけに映画館で鑑賞する価値があったと思えるものであった。
特にクライマックスでベルが自らアンベールをして”すず”として歌うシーンは、多少そこまでのストーリーを取りこぼしてしまっていたとしても、感動を誘うものになっていたと思われる。
他に類を見ない独特なメロディーと歌声は、ぜひ一度鑑賞してほしい。
展開が予定調和的になっている
しかし終盤の歌が良かっただけに、その直後からの展開がやや予定調和的になっていることは、とても残念に思われた。
現実世界の竜がすずをベルとして認めた後に、すずが彼らを助けるために東京へ向かうのだが、ここからクライマックスにかけてのシーンではかなりのツッコミどころが存在していた。
まず、すずが一人で東京へ向かっている点についてだ。
高知の駅までは合唱隊の女性に車で送ってもらってはいるが、そこからすずは一人で交通機関を乗り継ぎ、東京へ向かっていく。
高校生にもなれば一人で遠出をすることは現実的に考えてもおかしくはないのだが、この状況においては多少の違和感が残る。というのも、この時点では竜とその兄弟がどこに住んでいるのかは、ある程度までしかしぼれていないからだ。
現実世界で竜とコンタクトをとることができた際、父親によって通信を妨害をされたものの、その場に居合わせた人たちの機転よって彼らの居場所の特定が行われた。しかし、細かい住所まで特定できたという描写はされていない。そのためすずは竜たちの住む地域に行くことはできても、どの家のチャイムを鳴らせばいいかが分からない状態であったはずである。
母親の行動を理解してトラウマを乗り越えるためにはすずが一人で竜たちを助けなければいけないという物語上の宿命はあるものの、そのようにあやふやな状態で一人東京へ向かっていくところには、やはり違和感が残る。
そうして竜の住む住宅街に辿りつくすずであったが、ここで竜たちがタイミングよく外に出てきてすずと合流するのである。すずが叫んでいる声が聞こえたからと考えればなんとか説明がつくかもしれないが、ここ一番のクライマックスの盛り上がりにおいて、どうしてもご都合主義的な印象が拭えなかった。
その他の気になった点
上で述べた以外にも、路上で一度歌を披露しただけで一夜にしてあれほどまでに取り沙汰されるものだろうかという点や、友人ヒロのスペックの高さなど、ややご都合主義的な部分は散見された。しかし序盤に関しては、あくまで竜と出会うまでのきっかけの中の話なので、クライマックスの部分よりは違和感は残らない。また、登場人物がやたらハイスペックであるというのは「サマーウォーズ」にも見られる傾向である。
他にも、ジャスティンの扱いがやや雑に感じられたことや、竜の父親がすずにすごまれてわりとあっさり引き下がってしまう点など、多少ひっかかりの残る部分はあるが、エンタメ作品としては十分に見応えがあるものであったと言えるだろう。
総評
この作品は、様々な理由から”母性愛”という主題が伝わりづらくなってしまっている。そのため極端に言えば、例えば竜とベルのダンスシーンを見て「忍くんがいるのに、すずの浮気者!」と思ってしまう人もいるかもしれない。
”すずが母親の行動を理解して、トラウマを乗り越える話だ”と理解した上で鑑賞すれば、しっかりと味わえる作品になっている。
ストーリーにおいては多少予定調和的になっている部分もあるが、美しいアニメーションと劇中に流れる歌は、それだけでも劇場で観る価値があると思えるほどであり、エンタメ作品としては面白い作品である。
また、バーチャル空間を舞台にしたという点で類似しているため、同監督の「サマーウォーズ」と比較されることも多いかもしれない。キャラの魅力やストーリーの組み立て方においては「竜とそばかすの姫」は「サマーウォーズ」を超えるものにはならなかったように感じられた。しかし、それとはまた違った面白さや魅力のある作品であったため、感動できるアニメ映画を観たいという方や劇中歌がすばらしい作品を観たいという方にぜひおすすめしたい。